飛島しあわせ物語

とにか新聞 平成25年5月28日号

第七号

今回のテーマ 避難所建設から飛島村行政を見る

 こんにちは、飛島から日本を変える会(略称とにか会)の「とにか新聞」です。

第一節 村長の指導力不足(行政能力の無さ)

 私は、避難所建設について、反対ではありません。必要であるということであれば、建設すればいいと思います。
 ただ、避難所建設の経緯をみていると、村民の代表である議会との審議も十分に済んでいないうちから、見切り発車的に地区に説明する行為、また、その説明も建設ありきの説明、このような中途半端的な行為を行うこと自体が、村長の指導力不足、行政能力が無いといえる所以(ゆえん)なのであります。
 本来であるならば、議会と十分審議し、初めて地区におろすのであります。このことが、できてない。なぜ、できないのか。つきつめると、村長は、物事の本質が分かっていないようであります。

 議会に対しても、議会軽視ともうけとられる行為を行ったのであります。
 平成25年3月議会の避難所に関する一般質問(2名)に対する答弁が、まともな答弁であります(5月1日発行議会だより参照)。平成24年12月議会の避難所に関する一般質問(3名)に対する答弁は、建設がしたいための言い訳、こじつけ等であり、みぐるしく、いただけない。
 本来であれば、避難所建設にあたり、よく検討、精査し、原案を作るものであります。十分検討して作ったもので、あるならば、議会等からたたかれることは、なかったかと思います。

第二節 職員の英知を使え

 一人(ひとつ)の発案があり、それを職員達の英知でもっとよりよいものにする。まさに、職員達の知恵を活用する。このことが、非常に大事なことであります。これが、常時できれば、役場の行政レベルも向上するはずでありますが、現実は、できていない。職員の英知を活用することを、始めたらいかがでしょうか。

第三節 避難所は後世から評価される

 避難所の建設が始まります。この施設は、後世から評価されます。村民の皆さんに役に立ったという評価を受けるのか、はたまた、こんな施設、誰が作ったと言われるのか。村長の覚悟のほどをみせてもらいたいものであります。

 三連動地震(東海、東南海、南海)が発生し、津波が来たら大変であると言われていますが、それと同時に、本村では、液状化現象もある意味では、津波以上に大変かもしれません。
 避難所建設にあたり、土壌改良をおこなって、建設しても、避難所が傾かないとは、限りません。なぜなら、本村は、海を埋め立てて、できた新田でありますから。わかりやすく言えば、豆腐の上に、家が建っているということであります。避難所へ行ったら、傾いていたということも想定されます。
 そこで、1棟ぐらいは、お金がかかっても免震対策をした避難所を建設する必要があるかもしれません。

第四節 情報公開

 今回の役場と地区とのやり取りを聞いてみると、避難所建設ありきで説明がなされています。村長始め職員は、「情報を公開(発信)する」ということはどういうことなのか、よく考えてほしいものであります。ただ単に村民に知らしめる情報、キャッチボールをしなければいけない情報、村民から意見をもらう情報等いろいろあります。
 避難所建設の情報は、村民に知らしめればよいというものでなく、村民とキャッチボールを行わなければ、いけないものであります。
 あまりにも、情報公開に関し、村長、役場のレベルが低すぎます。これは、このことだけではなく、行政全般にいえることであります。
 また、議会は、議会だよりを発行していますが、村民の関心のある重要事項(避難所建設、住宅開発等)は、議員自ら積極的に、情報を公開してほしいものであります。

 最後に、地震対策は、避難所を建設すれば、大丈夫ではなく、村民ひとり一人が地震に対し、日ごろから防災意識をもつこと。また、覚悟をもって生活することが大事なのであります。
 まずもって、地震がきたら、自分の命は、自分で守ることであります。

 村民の皆さん、村政に関心をもちましょう。関心を持つことが、住民サービスの向上になり、ムダ使いの防止にもなるのであります。
 最後に、これを読んでご意見等がありましたら、お寄せください。

※「とにか」とは、飛島の「と」、日本の「に」、変えるの「か」の頭文字をとってつけた名称です。「とにか会」は、身近な地域から、暮らしを見つめ直し、村民の幸せを追求する村づくりを目指して、運動を展開していきます。

飛島から日本を変える会代表 八木敏一

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村民のみなさんを幸せにをスローガンに 飛島から日本を変える会 代表 八木敏一のプロフィール 1953年 飛島村生まれ 飛島村立小中学校を卒業 愛知県立松陰高等学校を卒業 1971年 飛島村役場に就職 2011年 同役場を退職 プロフィールを閉じます