飛島しあわせ物語

とにか新聞 令和3年5月6日号

第三十六号

 村民の皆さん、こんにちは。新型コロナウイルス感染症対策は、三密を避け、手洗い等行い、自己防衛をして、くれぐれも、ご自愛ください。

 さて、以前に、役場における仕事のやり方改革について、私の意見を掲載しました。私は、それを行うことが必要であり、必要なツールを整備しないとこれからの村づくりには、厳しいものがあると考えています。

 また、何故、これが(役場における仕事のやり方改革)必要であるのか、おさらいをしますと、今までは、財政力(お金の力)で、行政運営を行ってきましたが、ここにきて、財政力にも陰りが出てきたということです。令和3年度一般会計予算では、基金から約17億6千万円繰り入れをします。今後も、基金からの繰入は、必要であります。まさに、「あると思うな親と金」の諺(ことわざ)が現実味を帯びてくるようになってきたのであります。

今回のテーマ 村づくりに必要であるもの

村づくりに必要であるもの

 さて、役場における仕事のやり方改革は、よりよい村づくりのためにも必要であります。この改革が、一人の村民の戯言(たわごと)であればよいが、この戯言は、現実のものとなってきています。

 これからの本村における財政事情、公共施設等のハード事業の建替え、大規模改修等を考えれば、この改革が必然になってきます。

 下記に、8項目掲載してありますが、最低限、このことを行わないと、よりよい村づくりができない、また、村民の生活が豊かにならないと考えます。

  • (1) 計画行政が必要である
  • (2) 財政計画が必要である
  • (3) 行財政改革が必要である
  • (4) 村民にわかりやすい総合計画が必要である
  • (5) 住民自治基本条例が必要である
  • (6) ハード事業から、ソフト事業の転換が必要である
  • (7) 村民の意見を聞くことが必要である
  • (8) 役場職員の意識改革が必要である

 上記の項目の中で、計画、改革という言葉を5項目で使っています。今後の村政運営を行っていく上で、いかに計画、改革が大事、重要であるかということが言えます。

計画行政が必要である

 さて、計画行政の必要性について、検証します。
 本村において、今まで、この計画行政がなおざり、おろそかでありました。何故かは、財政が豊かであったからであります。

 具体的に、わかりやすく説明すると、昭和46年に名古屋港西部臨海工業地帯(西2・4区)が、本村に編入されました。それに伴い、数十億円の固定資産税が入っているようになりました。その当時の村道は、ほとんど砂利道でありました。その税収により、道路整備計画を策定せず、現場先行で道路舗装が行われたのであります。その現場先行の風土が、今も生きているということです。これは、私に言わせれば、悪しき本村の職場風土であります。

行財政改革が必要である

 さて、本村の現況を、人間の体に例えると、水膨れで、ブヨブヨ状態であります。これを健全な体にするには、相当気合を入れて、ダイエットをしないと元には、戻りません。真剣に、行財政改革を行うことを考える時期にきていると思います。

 また、ここで、もう一つ、本村が、考えなければいけないことは、ハード事業からソフト事業に転換することです。
 お金が、無くても、知恵を出せば、今まで以上の村民行政サービスを行うことは、可能であります。ただし、これには、役場職員の意識を、180度転換しなければ、できません。

 この意識改革は、本村役場において、難儀(非常に困難であること)であります。何故なら、職員は、真面目に働いていれば、給料は貰えるし、ボーナスも出るからであります。新たな仕事を作る必要が無いからです。このような状況の中での意識改革は、村長の命令で行わないと、進みません。

 これからは、知恵を出し、村民のニーズに合わせたソフト事業を充実する村づくりに重きをおく村政運営が必要であります。
 それには、まず、村民と対話をすることです。現実的には、村民アンケートを取り、村民が何を望んでいるかを把握することです。

 令和時代にふさわしい村づくりは、まだ始まったばかりであります。加藤村長の下で、役場職員が、一丸となって村づくりに励んでください。
 私は、愛しき村民のしあわせづくりに頑張って、邁進しています。

飛島から日本を変える会代表 八木敏一

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村民のみなさんを幸せにをスローガンに 飛島から日本を変える会 代表 八木敏一のプロフィール 1953年 飛島村生まれ 飛島村立小中学校を卒業 愛知県立松陰高等学校を卒業 1971年 飛島村役場に就職 2011年 同役場を退職 プロフィールを閉じます