飛島しあわせ物語

とにか新聞 令和7年2月1日号

第五十二号

今回のテーマ 飛島村の未来のためのふたつのピース

 村民の皆さん、お元気ですか、2月は、1年で一番寒い時期です。お体をご自愛ください。

村づくり(村政)を考える(後編)

 さて、本村において、村長始め職員が真剣に議論し、策定した第5次総合計画に基づき、着実に村づくりが進んでいます。結構なことであります。今回は、令和5年度から始まっている「ふれあいの郷再編整備」を取り上げます。

ふれあいの郷再編整備だけで、飛島村は、生き残れるのか?

 今回のふれあいの郷再編整備は、果たして、本村が生き残るため、発展するために必要な事業であるのか。私は、このふれあいの郷再編整備だけで、飛島村が生き残る、将来に向けて発展するには、非常に厳しいと考えています。このピースだけでなく、これを含めた複数の重要なピースが、必要であると考えます。飛島村が、それらのピースが何であるのか、これらの重要な複数のピースを把握し、それらの対策を実施していくことが、大事、重要です。

複数のピースが必要であり、それは、何か!

 さて、私は、飛島村が、生き残るために重要である必要なピースは、二つあると考えています。一つは、前編でも述べましたが、「人口減少対策」です。もう一つは、飛島村が存続するための絶対的に必要である村民の足である「公共交通対策」です。私は「人口減少対策と公共交通対策」とは、ある意味、対であると考えています。結論から言えば、交通の便が悪いと人口減少に拍車がかかり、ますます人口が減少する悪循環になるからです。

人口減少対策が必要である!

 「人口減少対策」の代表的なものは、少子化対策です。飛島村においては、子ども子育て支援事業は、近隣の市町に比較すると、充実していると承知しています。
 しかし、必要十分では、ないと考えています。具体的に、一つ挙げると3歳未満児童の保育料の無償化です。これは、速やかに、導入することが必要です。これが、出生数を上げる一つのピースになり得ますが、ただし、この施策を実施したかといって、すぐに、出生数は、上がりません。出生数の増加は、時間がかかります。

新たな発想で、公共交通の充実が必要である!

 さて、本村は、交通の便が、非常に悪い。車が無ければ日常生活に支障がでてきます。本村では、公共交通法定協議会を作り、そこで、公共交通事業を実施しています。本来であれば、その法定協議会ですべての村民の足の確保が、カバーできるはずですが、残念ながら、現状では、すべての村民の足の確保は、出来ていません。

 以前に、コミュニティバスを導入しましたが、利用者がほとんどなく、最終的に廃止しました。何故、コミュニティバスを村民は、利用しなかったのか、それは、本村では、車が無くては、生活できない典型的な車社会であり、この車の利便性になれた村民には、コミュニティバスが魅力的に見えないからです。
 そして、本来であれば、コミュニティバスを廃止したから、私は、それに代わるものが必要であると考えるが、それも、ありません。私は、コミュニティバスの失敗から学び、更に進化した村民にアピールできる公共交通施策を策定する必要があると考えます。

 そして、公共交通法定協議会で公共交通を考えるというより、もっと広い意味で、飛島村が責任をもって、全ての村民の足の利便性を図ることを考えることが必要であると、考えます。

前例主義、既成概念から脱却する必要がある!

 これらの「人口減少対策」「公共交通対策」に共通して言えることは、前例主義、既成概念の発想では、この問題、課題を解決することは、難しいと言っておきます。大胆な、斬新な発想を持たないと問題、課題の解決はできません。そのくらい難しいことだということをまず、飛島村(村長始め職員)は、認識する必要があります。
 それには、まず、前例に基づいて、仕事を行っていれば、間違いないという幻想を捨てることです。

 最後に「ふれあいの郷再編整備」をするだけでなく、それと同時並行して、人口減少対策(少子化対策)、村民の足である公共交通対策の課題、問題を真剣に考えることが必要であります。それらが、出来ないようでは、飛島村の将来は、厳しいと申し上げて、「村づくり(村政)を考える(前編・後編)」の結びとします。

飛島から日本を変える会代表 八木敏一

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村民のみなさんを幸せにをスローガンに 飛島から日本を変える会 代表 八木敏一のプロフィール 1953年 飛島村生まれ 飛島村立小中学校を卒業 愛知県立松陰高等学校を卒業 1971年 飛島村役場に就職 2011年 同役場を退職 プロフィールを閉じます