「はじめに」
1971(昭和46)年、飛島村に就職し、2011(平成23)年に退職するまで、40年余幅広く地方自治行政に携わってきました。その間、嬉しいこと、辛いこと、楽しいこと、悲しいこと等いろいろな出来事がありました。その間に私が考えたこと、疑問に思ったこと等を文章にしたものであります。短い文章でありますが、最後まで読んでいただけると幸いであります。
1971(昭和46)年、飛島村に就職し、2011(平成23)年に退職するまで、40年余幅広く地方自治行政に携わってきました。その間、嬉しいこと、辛いこと、楽しいこと、悲しいこと等いろいろな出来事がありました。その間に私が考えたこと、疑問に思ったこと等を文章にしたものであります。短い文章でありますが、最後まで読んでいただけると幸いであります。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。これは、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の冒頭であります。
さて、夏目風に自己紹介をしますと、吾輩は、八木である。1953(昭和28)年飛島生まれである。住まいは、服岡(通称地名:古台)である。生粋の飛島人である。飛島をこよなく愛している。好きな人物は、坂本龍馬である。
私は、在職中、村政に対して素朴な疑問をいだいていました。その疑問とは、「なぜ、財政が豊かなのに、もっとよりよい多様な住民サービスが提供できないのか」ということであります。できない理由は、あるのであります。そこには、外から見えない摩訶不思議(※1)な役場の掟(おきて)があったからであります。
※1 摩訶不思議(まかふしぎ): 非常に不思議なこと。
さて、摩訶不思議な役場の掟のほんの一例を紹介します。
社会教育課(その当時の課名、現在は生涯教育課)に在籍時、すでに生涯学習を推進するため、生涯学習推進員がいました。また、文化祭(当時、11月上旬に体育祭と同時開催)と芸能祭(当時、11月下旬に開催)を別々の日に開催していました。
私は、生涯学習を推進するならば、なぜ文化祭と芸能祭を統合して行わないか、疑問に思っていました。そこで、文化祭と芸能祭を統合する生涯学習フェスティバルを企画しました。それを企画立案するにあたり、大変苦労したことを覚えています。それは何かというと役場には「前例主義という化け物」がおり、その化け物に食われそうになったのであります。
そのときのお話しであります。そのフェスティバルを企画した時、まさにその前例主義の洗礼をうけ、そのものがダメになりそうになりました。ダメの理由は、今までの菊華展の開催時期(当時11月上旬)と新しい生涯学習フェスティバル開催時期(当時11月下旬)が違うからであります。
私は、その理由を聞いて、なぜ、ネガティブ(※2)な意見(時期が合わないから統合しなくてよい)ではなく、ポジティブ(※3)な意見(生涯学習フェスティバル(文化祭・芸能祭)として統合して行うのはいいが、菊華展をどうするのか)が言えないのかと思い、がっかりしたものであります。最終的には、調整ができ菊華展を別日に行うことで収まりました。現在、これが契機になり生涯学習フェスティバルが、発展して飛島ふるさとフェスタ(文化祭、芸能祭、健康福祉祭、農業祭、菊華展)として、11月上旬に盛大に開催しています。
このように、役場では前向きに仕事をやろうとすると、先ほど書いた前例主義という化け物が出てきて邪魔をするのであります。前例主義もいいがそれだけでは、組織、職員の思考を停止、硬直させてしてしまい進歩しません。前例主義を否定するわけではありませんが、目先だけでなく、先を見越したことを行うことも大事なことであります。
これは、ほんの一例であります。ほかにも、これと似たようなケースは、数多あります。村がよくなること、村民サービスを向上させることを役場そのものが潰しているといっても過言ではありません。もっとも厄介なのは、それに幹部職員が気づいていないということであります。
※2 ネガティブ : 否定的。消極的。後ろ向き。
※3 ポジティブ : 肯定的。積極的。前向き。
さて、金太郎飴(※4)は、甘くておいしいですが、この金太郎飴的なものである前例主義を職員が、なぜ好きになるかというと、前年と同じことをやっていれば、自分の目と頭を使う必要もなく、先輩、前任者の足跡を歩いていればいいわけですから、これほど安全で安心で、楽なことはないからであります。職員にとって都合がいいことなのであります。
だが、最初から、金太郎飴が好きではなかったと思います。公僕として、村のために働きたいという気持ちがあったと思います。それがどこかで、方向転換をし、知らず知らずの間に金太郎飴が大好きになってしまったのであります。そこに至るまでに、何があったのか。この要因を探求、解明しないと役場は、いつまでたっても時代遅れのままであります。
※4 金太郎飴(きんたろうあめ): どこを切っても切り口に金太郎の顔が現れる棒状の飴。
ある職員が、飛島村役場の職場風土をこんな言葉で表現しました。「役場は、江戸時代(封建時代)そのものである。」とまさに、そう実感したのでありましょう。言い得て妙であります。それこそ、お上(かみ)が偉いのであります。下の者は、だまっておれ、上の者の言うことを聞いて仕事をせよということであります。それだけ体質が古いということであります。
このような職場では、士気が低下し、活力が無くなってきます。それが、段々積み重なってきて悪しき職場風土になるのであります。上から押さえつけられているだけでは、自分達(役場、職員)の都合しか、考えなくなり、村民のことは二の次であります。当然、行政サービスも向上しません。
また、「職員(役場)が、知らないことは、行わない」ということも、一つの障害、弊害になっています。これは、本村役場(職員)の行政レベル水準の低さを如実に表しています。他市町では行っている行政サービスが本村では行っていないということがあります。なぜ、その行政サービスを本村で行っていないかといえば、職員が勉強不足で知らない、今まで行ったことがない(前例がない)等の理由で、行わないのであります。
役場の仕事全般において、以前から行っている行政サービス以外の知らないことはやらないのであります。仕事に対して画一的であり、柔軟性がなく、仕事のやり方等も踏襲し、変えようとしないのであります。また、仕事に対する向上心もなく、スピード感覚もなく、ただ漫然と仕事をしているのであります。これでは、究極の前例主義の連鎖が、延々と続くはずであります。
前例主義が横行するとそれ以外のことは、行わないということが当たり前のようになってくるのであります。このような役場では、満足できる行政サービスが、期待できるはずがありません。役場職員の全体のレベルが低いと言わざるをえない。
前例主義がうまく機能している時代は、それでよかったが、現在では、いったん何か事故、事件、不祥事が起きた場合、この前例のモノサシは、途端に破綻します。「前例主義」とは「無責任の連鎖」ということであり、「自らの職務を放棄」していることであるということを認識、理解してほしいと思います。
また、職員の潜在意識の中には、「村だから、この程度でよい」というのが根底、根本にあると思われます。これを払拭するには、職員の意識改革が必要である、と同時にトップのビジョンが重要なのであります。トップが、しっかりしたむらづくりのビジョンを持ち、それを組織に浸透させ、かつ、職員に意識改革をさせないと、行政サービスは、なかなか前に進みません。
この意識改革は、是非とも行わなくては、いけません。なぜなら、今は、昔とは違い、横並びの行政サービスの時代ではなく、行政といえども競争を行う時代になってきているからであります。
財政力指数が高いのであれば、すべての住民サービスも他市町より高くてもおかしくないのでは、ありませんか。これを、行わない理由は、「村だから」では、皆さん、納得できますか。
飛島役場には、役場しか通用しないローカルルールがあるのであります。他市町に出したら、通用しない、笑われる(笑えない)ローカルルールがあるのであります。
その一つを紹介します。役場の試験には、職員採用試験、昇任試験の二つがあります。職員採用試験は、どこの市町でも行っています。もう一つの「昇任試験」が、問題であります。
この試験は、江戸時代の踏み絵と同じであります。どういうことかと言うと、飛島には、係長から課長補佐になる時のみにこの試験をおこなうのであります。課長になる時は、試験がないのであります。一般的に、ポストの数が少ないから、選抜試験を行うのであって、係長から課長補佐になる時の試験の意味が全く分からない。江戸時代の踏み絵と一緒であります。幹部職員の言うことを聞く者は、良いが、聞かない者は、上へ上げませんよと無言の圧力をかけているようなものであります。
こんな環境の職場では、職員は、黙って下を向き、仕事をしているだけであります。これから、十分満足な行政サービスが生まれるはずがありません。
本来、公僕といわれる所以は、幹部職員のために仕事をするのではなく、村民のためにするのであります。本末転倒であります。
今現在、飛島で突出している行政サービスは、歴代の村長が発案したものばかりであります。組織(職員)の力で行ったものは、ほとんどありません。逆に言えば、村長以外の発案は、行わないのであります。前に書いたように、職員は、上の言うことを聞いて仕事をしていろということであります。これでは、行政サービスの向上は、望めません。いろいろな提案があり、いろいろな意見があり、そこには、自由闊達に議論する雰囲気が醸成できなれば、行政サービスは、良くなりません。
また、その雰囲気を創るのが、トップの役割であります。いくらトップが頑張っても、仕事をしても、所詮一人(単数)であります。組織力(職員)を使って、行政能力、行政サービスを高めていくことが、重要なのであります。
役場も、一つの事業所であります。会社であれば、村長は、社長であります。社長は、社員を使い、企業活動をし、利益を出すのであります。役場は、村長が職員を使い、行政サービスを向上させていくのです。そこには、職員が働きやすい環境を整えることが、大事なのであります。上から、押さえつける雰囲気、意見が自由に言えない環境等は、改善する余地が大いにあります。
私は、役場風土(職員意識)が変われば、住民サービスは、格段に良くなると思います。
今までの役場の行政は、横並び行政でありました。福祉サービスもなにもかにもほぼ同じでありました。役場も国、県からの指示で仕事をしていれば、考えなくてもよかったのですが、機関委任事務(※5)が廃止され、自治事務(※6)に変わったころから、市町村の立場も変わってきました。今までの、横並び行政から自ら考え、実践する行政(本来の地方自治)に変わってきましたが、末端の市町村は、それに対応ができていません。行政そのものが、考える集団(政策集団)になる必要があるのであります。これに対応している市町村は、ますます発展するであろうし、対応できない市町村は、衰退します。
たまたまわが村は、財政が豊かであるため、それを意識せずに、現在まできていますが、今後この姿勢で、はたして、生き残れるのか、疑問であります。
※5 機関委任事務(きかんいにんじむ): 法律または政令によって国から地方公共団体の執行機関(知事や市町村長など)に委任された事務のことである。
※6 自治事務(じちじむ): 都道府県、市町村の責任において処理する事務。
これもまた、社会教育課に在籍時のことであります。運動施設の貸し出しについて、住民(利用者)から当日の貸し出しの要望があり、検討していたときの話しであります。担当者は、現状でよいと言います。私は、改善してもよいのではないかと提案しました。
担当者の考え方は、今現在の貸し出し業務に支障がなく、順調にいっているので、変えたくないというのであります。これは、行政サイドに立った考え方であります。私は、施設が空いており、当日でも貸し出しをすることになんら支障がなければ、利用者に貸し出しをすればよいのでは、という意見であります。これは、利用者サイドに立った考え方であります。
どちらが、正しくて、間違っているということではなく、頭を柔らかくして、「この場合、真の行政サービスは、何であるのか」を考えれば、自ずと答えはでてくると思いますが、皆さん、いかがでしょうか。
なお、今では、当日の貸し出しもできるようになったみたいです。それにしても、それを議論してから、10年も経たないと変わらないとは、まさにお役所仕事であります。この例で分かるように、職場風土を変えないと前例主義が蔓延し、行政サービスが向上しないということが、非常によく理解できると思います。
長年、勤めていると、職員は、知らず知らずの間に、行政サイドからしか、ものを見なくなります。村民あっての役場であるということを肝に銘じてほしいと思います。
さて、話しは、変わりますが、このような役場の掟の元である前例主義、慣習、既成概念等を打ち破った先人がいます。この先人である北川正恭氏は、(行政改革先進県である三重県の礎を創った元三重県知事)は、「北京の蝶々」と言う有名な例え話しをしています。
これは、一羽の蝶のはばたきは、ごくわずかなエネルギーしかないのだが、それが集まり、羽ばたくとハリケーンが起きるというお話しであります。一羽の蝶は、所詮一羽の蝶ですが、たくさんの蝶々が響き合ったら、ものすごいパワーを発揮するということであります。例えば、村民一人ひとりの力は、小さいけれど、数多く集まれば、すごいパワーが生まれるということであります。
さて、役場というものが、おぼろげながら解ってきたと思います。これからが、本題であります。
村民の皆さんにお聞きします。飛島の問題、課題は、何ですか。いろいろあろうかと思いますが、私は、まずもって高齢者対策と将来のための少子対策の二つではないかと考えます。飛島でも核家族化は進んでおり、二人世帯(夫婦で100歳超える世帯)というのが、結構あります。二人世帯の10年後、20年後を考えてみてください。病気になって倒れたときのことを考えると、なにか不安な気持ちになるのは、私だけでしょうか。その時、役場(行政)は何をやってくれるでしょうか。役場は、介護保険制度もあり、高齢者医療制度もあるというでしょう。はたして、ほんとうに安心できる老後や医療が本当に保障されるでしょうか。
皆さん、考えたことありますか。国は、国民の健康よりも医療費の抑制に重きをおいているように、見受けられます。財政・経済優先の考え方であり、保険制度等は、満足なものではありません。国の制度は、真に国民の健康を考えて作ったのではなく、増え続ける医療費に、歯止めをかける制度なのであります。
このように国の施策に不安があるとすれば、村が独自の施策を作るべきであります。なお、本村には、それができる財政状況にあります。
さて、少子対策であります。これには、飛島村の存亡がかかっているといっても、過言ではないと思います。みなさん、考えてみてください。極論ではありますが、皆さんの家庭に子どもがいなかったら、最後は、鳥のトキと同じ運命をたどるのであります。そのくらい、重要な問題なのであります。10年後、20年後、飛島が活力のない村にならないように願いたいものであります。
村は、本当に、人口を増やそうとしているのか、今までの動きをみていると、疑問であり、一向に進んでいません。以前に建設した小中一貫校は、必要以上の規模の大きい物を作りました。いまだに、そこに入る子どもを増やす具体的な施策ができていません。このままであれば、税金の無駄遣いであります。いろいろな規制があり、施策ができなければ、知恵をだすことが必要であります。それこそが、役場(職員)の仕事であり、幹部職員の腕の見せ所であります。施策を作ることこそが、本来の行政の仕事であります。
これらの二つの対策は、それこそ、飛島に移住したいと思うぐらいの施策をしてもよいのではありませんか。それが、ひいては村の活性化の糸口につながっていくのではないかと思います。はたして、飛島はこのままでいいのか。役場は、いろいろな問題、課題を本当に真剣に考えて、解決しようとしているのか。村民の皆さん、どう思いますか。
私は、声を発しない良識人(サイレントマジョリティー)(※7)は、たくさんいると信じます。
これからは、役場に所用で行って、満足な解答が返ってこなかったら、納得するまで、尋ねてみましょう。そこから、村づくりが始まるのであります。
今までは、村役場だから(市役所じゃない)、田舎だから(都会じゃない)しかたがないか、というようなことで、自分自身を納得させてしまうことがありませんでしたか。これからは、満足いく回答がでるまで、尋ねてみましょう。
ここで、皆さんにちょっとした知恵を授けます。法律、条令、規則の解釈であります。それらに書いてないことは、原則できるのであります。役場の職員でも知らない人がいます。役場(職員)が知らないことは、まだまだたくさんあります。初めてなこと、知らないこと、未知なことは、以前に書いたように大体やらないのであります。行政サービスで、他市町では、行っているが、飛島では行ってないというのは、そのような理由で行わないのであります。もっと役場(職員)は、勉強しなくてはいけません。
今までのことを要約すれば、役場の行政レベルが低いのであります。もっと行政レベルを上げる必要があります。役場(職員)は、もっと頑張って仕事をやってほしいし、できるはずであります。
最後に、村民の皆さん、一人ひとりのパワーでより良い飛島を創りましょう。いい国(飛島)や社会をつくるのは、あなた自身です。
※7 サイレントマジョリティー : 声高に自分の政治的意見を唱えることはしない一般大衆。
ここに書いたのは、飛島村に対する叱咤激励(しったげきれい)であります。役場(職員)の意識が変われば、飛島村の行政サービスは、格段に向上する可能性が高いと思います。従来の標準型自治体から自ら考え、実践して行う創造型自治体になること。これこそが、飛島が生き残る道であります。それには、職場環境を改善し、職員に施策を作ることを勉強させる必要があります。そして、行政水準の高い役場組織機構をつくることが重要であります。
それと、もう一つ、大事なのは、飛島村を導く指導者(リーダー)が現れることであります。ビジョンをもち、夢を創り、その夢を語り、夢を実現して、村民を幸せにする指導者が必要であります。
役場(職員)も村民も今までの既成概念、慣習、思い込み、通念を打ち破ってこそ、始めて、新しい飛島が生まれるのであります。変わる勇気をもってこそ、何事も新しくなれるのであります。
最後に、本書が村民の皆さんにとって、少しでもお役にたつことができれば幸いであります。
〒 490-1431
愛知県海部郡飛島村服岡 3-117-1
飛島から日本を変える会 (代表:八木 敏一)
代表連絡先 : 090-6077-5412